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いまだに自己正当化する元銀行幹部

2003111

宇佐美 保

元長銀取締役箭内昇氏の著書「メガバンクの誤算」(中公新書)(番組中で久米氏が紹介しその内容に驚愕)には、“銀行トップは経営責任を問われぬようにクロス売買益を使ってひそかに不良債権処理を進めようとしたが、実態は典型的な問題先送りであり、結局は自滅行為になった。”と書かれています。

 ところが驚くべき事に、元興銀取締役吉田春樹氏の著書「銀行と株(2001年9月20日:東洋経済新報発行)」の110頁には、この“自滅行為”をいまだに正当化しているのです。

(但しこの著書では箭内氏の用語「クロス売買行為」を「益出し操作」と表現しています。)

 

以下に吉田氏の驚くべき自己正当化の様相を抜粋します。

(文字の色付けなどの処理は私が施しました)

銀行は重心が高い所にある船だ

 銀行にとり、保有株式は宝であった。何よりも、取引先と株式を持ち合うことによって、それが株主順位一〇位以内の大株主とまではいかないまでも、上位株主であれば、お互いの関係を強めることに大いに役立ったからである。しかも、個人投資家の株式市場参加率の低いわが国においては、銀行は、ある意味で機関投資家の役割を果たしていた。銀行の保有している株は、めったに売ることができないが、長い間保有しているうちには、多くの株は間違いなく含み益を生んだ。

 株式の収益率はといえば簿価ベースでみても、ましてや時価ベースでみても、けっして高くなかった。右肩上がりの成長に慣れたわが国では、金利に対して、株の利回りが低かったからである。しかし、銀行は、そのことはあまり意に介さなかった。 なぜならば、収益は、貸出金利や為替手数料など、その他のビジネスで回収できればいいと考えていたからである。それに、持ち合いで相手企業に持ってもらっている自らの株も、けっして利回りの高いものではなかった。

 株価は一九八九(平成一)年の一二月に天井に達し、九〇年から反落が始まった。政府や日銀がバブルがはじけたことも気づかずにまごまごしているうちに、九二(平成四)年八月にはとりわけ大きく下げてしまった。戦後の株価の大暴落は、ピークから四割下げるというのがひとつの目安だったが、この時の下げは六割にも達する。九二年といえば、銀行もようやく不良債権問題を意識し始めたタイミングである。この時の株価の暴落には、さすがにショックを受けた。しかし実際問題としては、長年の積み重ねで簿価のほうも十分低かったため、まだ含み益はたっぷり抱えていたのである。

 その後、全国銀行は、すでに述べたように二〇〇一年三月期決算までに七二兆円もの不良債権を処理してきたのである。全国銀行の年間収益といえば、兆円単位で一ケタ台の下の方である。それが、なぜこのように多額の不良債権処理ができたかといえば、一〇年という歳月があったこともさることながら、持合株式という宝を持っていたからである。

 しかし銀行は今や、その含みもすっかり吐き出してしまった。この一〇年間に、銀行は含み益の顕現化のために持合株の解消売りを続けてきたからである。しかし、取引先との関係を考えると、事情がどうであれ、どうしても売れない株もある。伝統産業を含めて、日本を代表する企業名を具体的に挙げて考えてみればわかるように、その企業のメインバンクは、ある限度以上、絶対にその企業の株は売れないのだ。なにしろ、産業銀行の地位は低下してしまっているからである。しかし、オーバー・バンキング (銀行機能過剰) であるので、都市銀行といえども純粋な商業銀行では食ってはいけない。

 こうした事情から、含み益を顕現化するためにいったんは売るものの、すぐに売り値に近い時価で同じ株を買い戻さなければならない。そのことが、初めから仕組まれているのだ。これを益出し操作という。このようにして、銀行は、この一〇年間、益出し操作を繰り返してきた。益出しの過程で買い戻す時は時価となるので、簿価はどんどん上がっていく。そのため少し株価が下がると、すぐに含み損を抱えてしまうような状態に陥っているのである。

 そんななかで、時価会計の導入が迫ってきた。銀行は、もうなりふりをかまってはいられない。すでに述べたように、どうしても保有株式をせめて半分に減らさなければならない。これが二〇〇〇(平成一二)年度の課題だったのだが、思うようには売れなかった。各銀行がいっせいに売ろうとするから株価が下がってしまうのだ。もちろん、この年度についていえば、アメリカ景気の頭打ちや森政権の頼りなさという悪材料もあった。しかし、銀行の持合株式解消の売り圧力が重くのしかかったことも見逃せない。

 結局、あまり売れないまま二〇〇一(平成一三)年度に持ち越してしまった。すでに簿価の水準が高いので、株価水準が下がった時に売却すると、実現損が出てしまう。そのまま抱えていると、二〇〇一年九月の中間決算からは、時価との差額の含み損から実効税率約四〇%の税金相当額を差し引いた額を、資本勘定の配当可能利益から落とさなければならない。その分だけ資本勘定が圧縮されることになり、その額が大きければ配当原資をも失うことになる。実現損を出せないでいるのだが、そのまま抱えていれば、さらに相場が下がるかもしれないという大きなリスクを負うことになるのだ。

銀行救済は金融ビッグバンの趣旨に反するという。しかしマクロ経済の観点からは、この問題は放置できない。なにしろ銀行の保有株式が、その経営をすっかり不安定にしてしまっているからである。大量の株を保有しながら簿価が高いということは、船でいえば高い所に重い重心があるようなものだ。そのような銀行が大波に揺られてゆらゆらと揺れている。株価暴落という大風がひと吹きすると、何隻もの銀行がたちまち転覆してしまうだろう。日経平均が一万円以下にならないという保証はどこにもないのである。

銀行の株式保有は、経営にとり、すっかり不安定要因になってしまったのだ。

 ここでは、吉田氏は、「クロス取引」を“含み益を顕現化するためにいったんは売るものの、すぐに売り値に近い時価で同じ株を買い戻さなければならない。そのことが、初めから仕組まれているのだ。これを益出し操作という”と書き、吉田氏は“取引先との関係を考えると、事情がどうであれ、どうしても売れない株もある。”そして、“その企業のメインバンクは、ある限度以上、絶対にその企業の株は売れないのだ。”と書き、この箭内氏は“自滅行為”と反省している行為を“いったんは売るものの、すぐに売り値に近い時価で同じ株を買い戻さなければならない”と正当化しているのです。

 

 若しも、吉田氏の弁明が真実なら、何故“銀行は、もうなりふりをかまってはいられない。”と言って売りに出たのですか!?

そして、今、それらを吐き出そうとしても“思うようには売れなかった”という事態を招いたのは誰の責任ですか。

そして、又、吉田氏が“取引先との関係を考えると、事情がどうであれ、どうしても売れない株”即ち、この“持ち合い株”に対して、吉田氏は、108頁に、次のように書いています。

証券側有利に展開した銀行の株式買い増し

 さて、二つのオイルショックを経験して、日本経済も安定成長時代を迎える。このころになると産業の資金需要も徐々に落ちついてくる。一方で、資本市場の蓄積はいっそう厚みを増してくるようになる。国債など大量に発行される公共債がこうした資金のユーザーとなるのだが、金融の繁閑を別にしていえば、それでも資金は潤沢で、いよいよ直接金融の顔形が見えてきた。こうなると長期信用銀行のような専門的な産業銀行、ないしは都市銀行や信託銀行など産業銀行機能の強い商業銀行や信託会社は、だんだん焦りが出てくる。積極的に取引先事業会社の株を買い増して、自らの陣営につなぎとめようとする。

 私が営業を担当していたときに、取引先がやって来て、「今度、生命保険会社が株を買い増してくれることになり、お宅と株主順位が逆転するが、どうしますか」と、暗に買い増しを迫ってきた。準メインバンクのメンツにかけても応ぜぎるをえない。そうすると、株価が上がり、証券会社はこの取引先に増資をいっそう勧めやすくなる。銀行対証券は、明らかに証券有利な展開になっていった。

 さらに、一九八○年代(昭和五五年⊥、特に後半に入ると、銀行には後述するBIS(国際決済銀行)規制の問題が生じる。自らの自己資本比率を高めなければならないということで、今度は銀行が積極的に時価発行増資や中間発行増資をする。もちろん、取引先にこれを引き受けてもらうこととのバーターで、自らも取引先の株を取得する。

時はすでにバブルの時代で、腹一杯飲み込んだ保有株が、日々含み益を増大していった。

証券会社には、「いっしょに渡ればこわくない」と、ボンと肩を叩かれる。

 これが、持合株式増殖のデッサンである。銀行の個々の経営判断や営業判断が冷静さを失っていたとは思わない。むしろ逆であろう。しかし、時はバブルの時代。BISの自己資本比率規制を目前にして、銀行としては、なんとしても自己資本比率を引き上げ、それに見合った収益力をつけることに経営の重点を置かぎるをえなかったのだ。金融機関の持株比率がピークに達したのは八九(平成一)年、バブルがピークに達した、まさにその年である。その二年後、九一年には、バブルがガラガラと崩れ始め、多くの証券不祥事や銀行不祥事が発覚するようになった、明らかに舞台は回り、暗い時代を迎える。

 ここでは、“持ち合い株”が“準メインバンクのメンツにかけても応ぜぎるをえない”と言う理由で買い増した株でもあったのです。

(後生大事に抱え込む必要もない株でもあったのです)

 

ですから、箭内氏の“銀行トップは経営責任を問われぬようにクロス売買益を使ってひそかに不良債権処理を進めようとしたが、実態は典型的な問題先送りであり、結局は自滅行為になった。”との言葉を元興銀幹部の吉田氏は重く受け止めるべきです。

銀行トップは経営責任を明確に表明して、“いったんは売るものの、すぐに売り値に近い時価で同じ株を買い戻す”等という犯罪的行為をせずに、“銀行は、もうなりふりをかまってはいられない。”と宣言して、“持合株式という宝”を売り抜けるべきだったのです。

 

なにしろ、吉田氏が書いているように、この“持合株式という宝”は、“長年の積み重ねで簿価のほうも十分低かったため、まだ含み益はたっぷり抱えていたのである。

 その後、全国銀行は、すでに述べたように二〇〇一年三月期決算までに七二兆円もの不良債権を処理してきたのである。全国銀行の年間収益といえば、兆円単位で一ケタ台の下の方である。それが、なぜこのように多額の不良債権処理ができたかといえば、一〇年という歳月があったこともさることながら、持合株式という宝を持っていたからである”との事ですから、何度も書きますが“いったんは売るものの、すぐに売り値に近い時価で同じ株を買い戻す”自殺行為をせず、売りっ放しにすべきだったのです。

 

 ところが、元興銀幹部の吉田氏の同僚のトップ達は、“なあに、株は下がっても、そのうち上がるだろうから、今はこっそり経営責任を問われぬように「益出し操作」を使ってひそかに不良債権処理を進めよう”との金融のプロとは思えないような判断ミスを何故反省しないのですか?

ところが、吉田氏は“株価は一九八九(平成一)年の一二月に天井に達し、九〇年から反落が始まった。政府や日銀がバブルがはじけたことも気づかずにまごまごしているうちに、九二(平成四)年八月にはとりわけ大きく下げてしまった”と政府日銀を非難しているのです。

おかしくありませんか?

政府や日銀が、“九〇年から九二(平成四)年までバブルがはじけたことも気づかずにまごまごしていた”と非難するなら、“九二年になって、銀行もようやく不良債権問題を意識し始めた”と、何故厚顔無恥に書けるのでしょうか?

銀行こそが自分で「九〇年から不良債権問題を意識すべきだったのです

 

吉田氏は政府の無策を非難していますが、 朝日新聞(2002.11.07)の、元自民党幹事長・加藤紘一氏の談話として、次のように書かれています。

いつごろから不良債権問題を意識しましたか。

「株価が急落した92年夏だ。宮沢首相や私に届いた野村総合研究所の報告書は、銀行の収益力は実はゼロで、株の含み益で配当していると分析していた。

そして、この加藤談話を受けた形で、「不良債権はなぜ消えない(渡辺孝著)」の136頁には、次のように書かれています。

宮沢元首相は、九二年八月の株価急落時に、大手金融機関への公的資金投入を密かに検討していたが金融機関経営者の反発もあって、結局これを断念した。同氏は当時の状況について次のように語っている。(日本経済社編〔二〇〇〇〕)。

「金融機関の反応は、どういうことになろうと、(救済を受けることになれば)最終的に自分の銀行の中身が洗われることになりますわな。そして、その責任追及というものが、公的な関与を受けるなら免れないだろう。『余計な事をしないで下さい。』簡単に言えばそういう受け取り方ですねえ。」

 吉田氏は、九二年になって、銀行もようやく不良債権問題を意識し始めた”と書いているのですから、ここに書かれている“宮沢元首相の公的資金投入 大手金融機関が受け入れていれば、“持合株式という宝”を切り崩さずとも不良債権問題は片付き、日本経済も安泰であったかもしれないではありませんか!

それなのに、「銀行の収益力は実はゼロで、株の含み益で配当している」と言うのは、銀行幹部の背信行為ではありませんか!

配当などせず、不良債権処理に専念すべきではありませんか?

 

そして、吉田氏が、“株式の収益率はといえば簿価ベースでみても、ましてや時価ベースでみても、けっして高くなかった。右肩上がりの成長に慣れたわが国では、金利に対して、株の利回りが低かったからである。しかし、銀行は、そのことはあまり意に介さなかった。 なぜならば、収益は、貸出金利や為替手数料など、その他のビジネスで回収できればいいと考えていたからである。それに、持ち合いで相手企業に持ってもらっている自らの株も、けっして利回りの高いものではなかった。”と記述する“利回りの低い株”を誰が買うのですか?

 実際、証券会社のパンフレットには、株購入のメリットとしては、第1に「株価の値上がり利益」が掲げられていて、「配当利回り」などは、「株主優待券」などの後ろの隅っこに追いやられています。

こんな不合理な株など誰が買いますか?

こんな株に対して、バブル崩壊当初に政府が介入すれば、株価が回復するとでも、吉田氏ら銀行幹部は思っていたのですか?

(自分達の身分が危なくなる政府や日銀からの処置を拒否していたくせに、自分達に都合が良くなることでは、政府や日銀に何でもかんでも頼っていたのですか?)

 

ですから、吉田氏は、「銀行保有株式取得機構」(仮称)の構想を提示したと、135頁に次のように書いています。

アイディアはこうして生まれた

すでに見てきたように、銀行が過剰な持合株を手放さぎるをえないことを前提にする限りは、何らかの政策的措置が必要なことは否定できないであろう。この「銀行保有株式取得機構」(仮称)の構想は、その一つの答えなのだ。

 といっても、二〇〇一(平成一三)年夏の執筆段階で、その全容が固まっているわけではない。政治絡みの問題であるだけに、先行きの予断を許さない。私自身が、思わぬ経緯でこの構想に関係してきたので、今後の展開は予想がつかないものの、この構想が持つ基本的な考え方とその論点についてだけは、簡単に触れておこう。

 私にとっての、この問題の発端は、二〇〇一年二月一三日号の雑誌『財界』に、同誌主幹の村田博文さんに勧められて、「敢えて言う。預金保険機構による株式買い取りを提案したい」との一文を寄稿したことに始まる。執筆したのは一月中旬の段階であったが、そのころ、私は、年初からの株価の下げに強い危機感を抱いていた。具体的内容は、ちょうど自民党の証券市場等活性化対策匿名委員会委員長に就任された衆議院議員相沢英之さんの強い影響を受け、預金保険機構による三〇兆円規模の株式の市場からの買い上げが必要であるというものであった。

 なんとも虫の良い話ではありませんか!

吉田氏は、先に「益出し操作」によって、“全国銀行は、すでに述べたように二〇〇一年三月期決算までに七二兆円もの不良債権を処理してきたのである。”と書いているのです。

この自殺行為をせずに株を売り抜いていたら、“預金保険機構による三〇兆円規模の株式の市場からの買い上げが必要である”などと書かずに済み、もっと多くの株売却利益を有して不良債権処理も完結していたでしょう。

 

 そして、この“預金保険機構”に買い上げられた、「配当利回り無視の株」をどうしようと言うのですか?

吉田氏は、156頁に、“最終的には、何年か後に、個人投資家や機関投資家の成長を待って市場に放出する……”と私たち国民を見下して書いています。

 

このような人達が、政界(相沢英之議員)や財界を跋扈しているのですから、この先日本はどうなってしまうのでしょうか?
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